田子の月とはなんぞや
田子の月の昭和27年創業のイメージ画像

昭和27年創業

終戦後の意気消沈した暗い世の中を「少しでも明るくしたい!」との思いで甘党だった創業者が、今川焼を「たのしみやき」と名付けて屋台で売り始めたのが田子の月のはじまりです。
 

田子の月の創業当時の店舗の画像

創業当時の店舗

お店らしいお店は、吉原の唯称寺さんの門前で一間足らず売店を構えて売り始めたところからです。当時の屋号は「田子の月 味々屋」
「もひとつおくれ」のおばあさんとの出会いもこの場所で生まれました。
 

田子の月が創業当時貼って歩いた広告の画像

当時貼って歩いた広告

お店を宣伝するのに当時ほとんど使われていなかった電柱に目をつけ「吉原の名物は田子の月もなか」、「田子の月とは何ぞや」と書いた半紙を至る所に貼って歩きました。高さを変えたり、斜めに貼ったり、あえて目立つようにと逆さに貼ったりもしました。
 

武者小路実篤先生の句の画像

「名月やこどもよろこぶ田子の月」の包装紙

宣伝をして広めるのには有名な人の名前を借りるのがいいと考えた創業者が、当時愛読していた日本人なら知らない人はいなかった「武者小路実篤先生」の元を訪ね、最中とペンを差し出して即興で書いてくださったのがこの句です。現在でも田子の月最中の専用包装紙として使用しています。
 

田子の月は、富士山の麓、富士市に生まれました。

富士山の麓、富士市から

私たちは幼いころから富士山を眺めて育ってきました。裾野から頂までを一望できるこの姿こそが私たちの富士山の姿です。富士山の麓で生まれて70余年、この地で育ったからこそ表現できる思いや風土をお菓子を通してお届けしていきます。
 

富士山の湧き水で作る美味しいお菓子

富士山の湧き水

お菓子にはその土地ならではの風土が表れます。素材や材料に加え、自然の恵みの「水」も重要な要素です。富士山に降り注いだ雨が、百年近い長い時を経て湧き出した「富士山の湧き水」を私たちは使用しています。「水がいいから、美味しい」富士山に感謝です。
 

富士山麓の恵みの朝霧高原の牛と富士山の画像

富士山麓の恵み

富士山の麓で育った牛から採れる「富士の国地乳業」様の牛乳を使用しております。大自然の中でストレスなく育った牛、そして搾乳から生乳までが短いサイクルで行われていることもあり、鮮度も抜群です。
 

田子の月 代表取締役社長 牧田桂輔の画像

社長ご挨拶

私たち田子の月は、富士山のお膝元静岡県・富士市で生まれ、地域の皆様に育てていただきました。富士市は、私たちにとって本拠地であり、ホームタウンです。雄大な富士山を背景に、富士山に見守られながら70余年菓子作りに励んで参りました。
 
創業者である私の祖父、牧田良三が終戦後に生まれ故郷である富士市に戻り、「意気消沈した暗い世の中を甘いお菓子で少しでも明るく元気にしたい!」そんな思いで始めたのが田子の月のはじまりです。「うまい菓子を作れ!」と常々伝え続けてきた創業者の頑なな菓子づくりへの姿勢が、現在の田子の月にもしっかり受け継がれています。その姿勢を「人づくり、菓子づくり」という我が社の信条の中にも込めたのだと理解しています。
 
このホームタウンへの強い思い、お菓子を通して世の中を明るくしたいという創業の精神、そしてうまい菓子づくりの品質への誇りをこれからも私たちは大切に継いでいきたいと考えています。
大切なことを守りつつも、これだけ変化の早い世の中で「変わることを恐ず」大胆に挑戦する会社でありたいと思っています。
 
田子の月に関わる全ての人、会社、地域社会、そして未来が、幸せの輪で包まれるように努めて参ります。
 
代表取締役社長 牧田 桂輔

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